2011年5月16日月曜日

プロの農業者を対象に考えています

全国には市民農園が3,596(平成22年3月現在)ある。うち関東ブロックが全体の5割を占めている。

こうした農業体験型農園では地域との交流は図れていい面もあるがプロをめざした動きとは違うのである。こうした体験型農業は趣味の農業であってもプロの農業ではない。

プロになるためには市場での評価が必要で価格を決めて貰わねばならない。やる気のある生産者なら日本一の大田市場でどれくらいの評価をしてもらえるのか体験してこないといけない。

そこで日本農業再生では農業のなかでも青果物の流通を主として対象としています。それは日本農業のなかでも農業産出額が最も大きいからです。そしていちばん元気です。たとえば10アールで600万円の売上げをつくるイチゴの生産者がいます。おコメなら優秀な生産者でも10アールで20万円にならないでしょう。

★またプロフィールでも明確にしてますが、基本的に趣味の農業は対象外としてますのでご了承ください。


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2011年5月14日土曜日

この18年間は何だったのだろうか?

18年前、ある農産物貿易会社の専務が大阪に赴いた。部下が仕事で大穴をあけてしまいその責任をとるということと、支店づくりという意味もあった。 その専務は仕事を組み立てるのがとても上手く40代半ばで自信に満ちていた。半年もたったころにはかなり評判も定着して支援してくれるメンバーも揃った。

そ うした時に同社の社長が私に「大阪の専務を呼び戻してくれないか!」という依頼であった。私に依頼が回ってくる前に社長が大阪に赴き専務を説得したのだが 埒があかないということであった。私は土日を利用して大阪に出かけた。専務の本音を聞かせてもらいたいということで話合ったのだが、もう独立の心構えがで きているようであった。私もそれなら独立もいいだろうということで説得を断念。東京に帰ると専務の決意を社長に伝えた。

し かし、結果的に大阪事務所をたたみ東京本社に帰えることになった。そして今年の1月に専務は社長に就任した。ところが社長就任と同時に体調に変化が生じ た。そして5月6日づけの医者の診断書では「糖尿病、脂質異常症のため適応障害」があり静養が必要とある。また明日は前社長の相談に乗らなければならない のだが、私は18年前に答えを出しているだけに憂鬱なる相談で、奥深いところで相性の問題も大きな問題だろう。同じ問題で相談に乗るということは、この 18年間は同社にとって何だったのだろうか。どちらもよく知っているだけに「ああぁ!・・・」という気持ちだ。会社を起していくというのは気力・体力も充 実した時がいいのだが。

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2011年5月7日土曜日

環境サミット伝説のスピーチ少女、セヴァン・スズキの今に迫る!おなかには新しい命も! - シネマトゥデイ

環境サミット伝説のスピーチ少女、セヴァン・スズキの今に迫る!おなかには新しい命も! - シネマトゥデイ

[シネマトゥデイ映画ニュース] オーガニックブームの火付け役となった昨年公開のドキュメンタリー映画『未来の食卓』の続編、映画『地球のなおし方』が来年公開されることが決定した。本作は、1992年にリオデジャネイロで行なわれた環境サミットで、当時12歳ながら「どうやって直すのかわからないものを壊し続けるのはもうやめてください」などと大人に訴え掛け、伝説のスピーチと絶賛されたセヴァン・スズキの現在の活動と、食の安全を守り続ける人々を追ったドキュメンタリー作品だ。

未来の子どもたちのために生き方を変えるよう世界へ呼びかけた、18年前のセヴァンの姿から始まる本作。現在彼女は30歳となり、おなかには新しい生命が宿っている。前作の監督でもあるジャン=ポール・ジョーは、セヴァンが自然と共存して暮らす姿や、合鴨農法によってオーガニック米を作る福岡県・古野農場の百姓百作の精神、無農薬食材を育てる福井県の池田町、そして前作の題材であったフランス・バルジャック村のオーガニック給食とその後の様子を取材。未来の地球の子どもたちを見つめ、救うために活動を続ける日本やフランスの人々の姿を描き出している。

現在も地球環境が危機的状況であることに変わりはないが、「今なら変化をもたらすことが可能だ」と再び訴え掛けるセヴァン。決して人ごとではない食の問題と地球の未来に、誰もが目をそらすことはできないだろう。

★映画『セヴァンの地球のなおし方』は
2011年6月25日から東京都写真美術館ホールほか全国ロードショー

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2011年5月6日金曜日

風評被害に負けるな!ふくしま野菜!!



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熊本・スーパー「イスミ」がJGAP団体認証取得で安全性を先取り!

熊本県を地盤とするスーパー「イスミ」が、地元の中小農家を集め「球磨川GAP生産者グループ」を組織しています。

その生産者グループでJGAP団体認証を取得して、インストアの直売所を展開しています。

消費者にもJGAPの取り組みをしっかり伝え、支持を得ています。

本来ならこうしたことは市場と農協が連携して取り組んでいかなければならないことだが、量販店に先取りされてしまった感がある。一部取り組んでいる卸はあるがまだ生産者の組織化までにはいたっていない。

こうした努力をしない市場や農協はもう不要となる可能性がある。これまでは確かに需要が旺盛だったので農薬、化学肥料をふんだんに使用して量の確保に走った。しかし、大手量販店の販売不振をみてももう規模の拡大や量の確保の共販時代は終焉しているのだ。

今後は「イスミ」の動きに追随する中規模の量販店が出てくるだろう。目玉となるところがどんどん市場外流通に先取りされていくだろう。さぁ、市場の卸や農協はどう対応していくのか!


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2011年5月5日木曜日

長編ドキュメンタリー映画「プージェー」を観て


 

 

 

 

 

草原を駆け抜けた少女 

 

 

 

 





 長編ドキュメンタリー映画「プージェー」(山田和也監督作品、製作配給:puujee製作委員会)を観た。

上映会の主催:墨田区のすみだ環境ふれあい館企画運営委員会。ラストシーンにセンチメンタルな私としては泣けた。どんな大作にも負けない内容で、こんな感動した映画は久方ぶりだ。

関野吉晴さんも来場され著書のサイン会、トークショウも行われた。私もその著「我々は何処に行くのか」にサインをしてもらい握手までいただいた。

いつもちっとも力まず、自然体の関野さんであるが53000キロを自力で踏破された手応えが伝わってきた。先住民との出合いでは、近くでいく日もテントを張りチャンスを伺う。出会い頭に危険もある。命をなくすことだってあるのだ。「何でも手伝いますので、どうか泊めてください」と言って相手に食い込んでいく。そして何にもお手伝いできないので、子どもたちと遊ぶことになるのだそうだ。

さて、このグレートジャーニーを続けた関野吉晴さんのプロフィールを紹介しておこう。

1949年東京都墨田区生まれ。1975年一橋大学法学部卒業。1982年横浜市立大学医学部卒業。一橋大学在学中に探検部を創設し、1971年アマゾン全域踏査隊として1年間の南米遠征。その後20年間に32回、南米への旅を続ける。その間、現地での医療の必要性を感じて外科医となる。

1993年からは、アフリカで誕生した人類がユーラシア大陸を通ってアメリカ大陸まで拡散していったおおよそ53、000キロの行程を、自らの腕力と脚力だけを頼りに遡行する旅「グレートジャーニー」を始める。

1993年12月に南米最南端のチリ・ナバリーノ島を出発し、8年3か月をかけて、2002年2月10日、目的地であるタンザニア・ラエトリにゴールした。そして2004年7月に、日本人の来た道を辿る「新グレートジャーニー」をスタート、2009年までに3つのルートを踏破した。

1999年   植村直己冒険賞(兵庫県日高町主催)受賞

2000年   旅の文化賞(旅の文化研究所)受賞

現在    武蔵野美術大学教授(文化人類学)

草原を駆け抜けた少女

探検家・医師の関野吉晴さんが出合ったモンゴルの少女・プージェー

(サイン中の関野吉晴さん)


映画監督(地球交響曲ガイアシンフォニー)の龍村仁さんの映画評を添えておこう。

「この、たったひとりの少女と出会うために、関野は350万年の旅を遡行し続けたのだろう。そう思えるほどこの感動は深く壮絶である」けだし至言であり、さすがは映画監督だ。これ以上の言葉はいらないだろう。

1999年市場経済導入から10年近くたったモンゴル。チンギス・ハーンの時代から守り続けてきた大草原や人々の暮らしにも、様々な変化が現れてきていた。これはモンゴルの草原で起こった小さな、しかし深い出逢いの物語である。

探検家・医師の関野吉晴さんは「グレートジャーニー」の途上、モンゴルの大草原でひとりの少女と出合った。自在に馬を操る少女の凛々しい姿に魅了された関野さんは、写真撮影に熱中するあまり彼女の仕事を不用意に妨げてしまう。そのとき、彼女の声が飛んできた。

「写真撮るなら、こっちに来ないで!」少女はプージェーといった。当時6歳。関野さんの一人娘と同い年だった。50歳の日本人とモンゴルの少女との交流が始まった。

プージェー一家の住むゲル(移動式テント住居)に通ううちに、関野さんは彼女の家が馬泥棒にあったことを知る。市場経済導入後に、馬を盗み遠くの市場で売り飛ばす輩が増えているのだ。馬を奪われることは生活の困窮を意味する。しかし、そんな状況でも一家は関野さんを快く受け入れてくれた。プージェーの母・エチデメネグさんは、別れのとき、アフリカまで旅をするという関野さんに「乗っていって下さい」と馬をプレゼントしてくれた。

翌年、2000年春、プージェー一家を再訪する。そして、プージェーの母親が死んだことを知らされる。落馬して内臓を傷つけ、病院に行ったが、保険がないことを理由に診療を拒否され、事故から12日後に息を引き取った。32歳の若さであった。外科医でもある関野さんはおそらく歯軋りしたに違いない。そして彼はプージェーが日本語の通訳になる夢を持ったことを知る。プージェーの遊牧民らしさが好きで通っていたが、そのことが、皮肉にもプージェーが草原を離れる原因を作ってしまったのかも知れない。しかし、関野さんはプージェーが望めば、日本に留学してもらおうと密かに考え始めていた。

4年後、グレートジャーニーを終えた関野さんは、新しい旅のスタートにプージェーのゲルを選んだ。そして・・・・。

続きはぜひともご自分で観て下さい。とくに私は親子で観てもらうことをお薦めいたします。

お問い合わせ  puujee製作委員会tel:fax 03-5386-6700

 

 

 





ソーシアルメディアの役割とマーケティング

 日本農業再生








ソーシアルメディアで青果物の流通










今回の東日本大震災で被害を受けた宮城県石巻市の夕刊紙、石巻日日(ひび)新聞が被災後の6日間手書きの壁新聞を作ったのです。


夕刊紙だからできたのかもしれません。未曾有の危機の時に90年の歴史を積み上げてきた地方紙が手書きの壁新聞とは立派な記者魂です。


そして困難を乗り越えて発行された歴史的な紙面として、米ワシントンにあるニュースの総合博物館ニュージアムに展示されることになった。

これは新聞の原点です。もともと新聞は瓦版だったのですから。掲示されたところがまさに「場」でした。


こうした精神を失わなければ、マスコミではなくソーシアルメディアとして受け入れてくれるでしょう。

つまり地域の消費者は高いね、安いねではなく生きた情報が必要だから「いいね!」ということで投げ銭を入れてくれるでしょう。


ここにソーシアルメディアの役割とソーシアルマーケティングの原点があるように思います。


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2011年5月4日水曜日

「五郎の恋人」はブランド・イチゴになり得るのか…?

金沢市民の台所として親しまれて290年。近江町市場の市安商店の四代目店主・安田恒夫さんが地元産いちご「五郎の恋人」を厳しく評価された。金沢はコメは美味しいしお酒は美味い。しかも海の幸、山の幸には恵まれて食に関していい加減なことが許されない厳しさがある町だ。

ところでイチゴは青果物のなかでいちばんの稼ぎ頭であるだけに品種間、産地間競争が激しくまさに流通戦国時代なのである。

さて青果物の場合、新商材を世に出すときに生産者はどこの意見を聞くのが賢明なのか?

意外と知られていないが生産者の多くがここを間違って姿を消してきたのだ。

・・・・・

それはなんといっても小売店の評価である。

市場の卸は生産者に対して立場的に弱いので厳しい意見が言えないのだ。それは無条件委託で集荷しなければならないためだ。仲卸は仕入するお客の立場だからそこまではないにしても、卸が集荷できなくなると困るから気を使わざるを得ない。小売店はいい商材であれば基本的にどこの産地でもいいのである。産地間競争は大いにしてもらったほうがいい。

したがて生産者は小売店のストレートな意見より、耳障りがよくてユルユルの卸の意見を聞きたがる。でもこんなぬるま湯に浸かっている産地は決して一流の産地にはなれない。

「野菜は鮮度、果実は味」で勝負といわれる。野菜は基本的に調理されるものだ。調味料で味付けされるので味ではない。栄養価と植物繊維が大切だ。果実は野菜に比べるとストレートに口に入る。糖度と酸味とコクのバランスが勝負どころだ。さらに規格選別の問題も大切である。その商品が他産地ものと比較して価値があるのかどうかである。

さて安田さんの「五郎の恋人」の評価に耳を傾けたい。生産者は安田さんの声をモニターとして考えるくらいでないといけないのだ。いささか長い文章だがどうかお付き合い願いたい。

~「五郎の恋人」はブランドいちごになり得るのか?~

「冷静に考えて、現時点で私の立場としては NO! です。

私の店に回ってくるのが変形果の物が多いのですが、正品と呼ばれる物の割合も低いのが現状のようですけれども…それにしてもチョッとこれはないだろって言いたくなるのがあまりにも多過ぎます。

以前、Facebook上でF氏がご指摘になった事もあるのですが、数日前もある方が上と下のイチゴが違い過ぎると言って来られました。そんな高い価格で 売っている訳でもないのですが、他産地のイチゴの選果状態に比べると、今の時代こんなのあり?って思えるような内容であることは確かです。

F氏がご指摘になった頃は、多少の変形は目を瞑って欲しいな…等と安易に考えていたのですが、最近の状態は度が過ぎると言いたくなるような状態です。汚い言い回しで申し訳ないですが、「お前ら、『イチゴ』っちゅうもんを舐めとるんか!」と叫びたくなるくらいです。

生産者としては、きめ細かな選果をしていらっしゃるのでしょうが、まあ、等級分けにしてもなんと細かいと思うような分け方ですが、根本的に選果基準が甘すぎます!

市場にイチゴが足りない時代ならいざ知らず、今や『イチゴ戦国時代』等と言われるくらいに各産地がしのぎを削っている時代に、おいおい、こんな物まで出荷 してくるの?と言いたくなるような状態です。恐らく、他産地では格外としてはねられたり、圃場廃棄される物まで混ざっています。いくら出荷の絶対量が少ないからと言って、この状態は考え直してもらいたいものです。

「五郎の恋人」に関して言えば、品種的には「恋イチゴ」と「さちのか」の2種類が出荷されているわけですが、消費者から見ればいずれも「五郎の恋人」なわけです。つまり、「五郎の恋人」と言うブランド名を冠したイチゴを出荷しているわけですよね。

それならば、そのブランドに対して責任と自覚を持って頂きたい。

今年が1年目だから、という甘えもあるんでしょうか?

逆に1年目だからこそ、厳し過ぎるくらいの選果をしてこそそのブランドが信頼されるようになると思うのですが…

いい例が「ルビーロマン」だと思います。生産者にしてみれば正品率が低すぎると思われる位の、格付け責任者による審査を経て出荷され続けた事によって、「ルビーロマン・ブランド」が形成されつつあります。
あえて、ある程度収量を確保したいのであれば、「五郎の恋人」以外の別ブランドにすべきではないでしょうか?「五郎の変人」等とは言いませんが(笑)、「五郎の友達」とか「五郎の悪友」(これもきつ過ぎか^^;)…
そうすれば、逆にスペシャル・ブランドとして「五郎の女房」、「五郎の奥方」、etc. 等と言った展開も可能なのでは…

それにしても、末端の反応が生産者へ上手くフィードバックされていないのではと思う事があります。初出荷の段階で、一度競りにかけられただけで、その後は仲卸への予約相対による販売が続いています。最近の果実販売の主流がそうだと言えばそれまでなんですが、競りの軽視と言う事がどうも小売業者として は腑に落ちないこともあります。

金沢の卸売市場では、所謂高級ブランドのマスクメロンやルビーロマンは競りにかけられていますが…。競りの持つ価格決定機能や、価格を通じての生産者への市場の意思表示と言うものが疎んじられていくのもどうかと思いますけどね。

やはり、生産者も頻繁に市場へ足を運んで、自分の出荷している商品への評価にも耳を傾け、様々な情報収集に心がけるべきだと思いますが…。

医療関係のA社とのコラボと言う事もあって、ネーミングやパッケージに関しては、今までの県内産の農産物には見られないセンスの良さや斬新さは評価 しますが、何か肝心のところが欠落しているような気がします。それは、最終的には誰のもとへ届き、だれがお金を払うのかと言う事だと思います。少し、出し 手側の思惑が先行しているような気がしてなりません。

マスコミやその他の心地よい反応だけに耳を傾けていると、あとでしっぺ返しを食らうことにもなりませんよ。否定的意見にこそ真実が隠されているという事もありますから。

何となく、充分な準備も整わないまま見切り発車された感も否めませんが、容器やその他の細かい点にもまだまだ改善の余地は残されていると思います。是非とも、消費者と言う最終段階へどんな形で商品が届くのかを再検証して頂きたいと思います。

辛口の事ばかりになってしまいましたが、これも「五郎の恋人」が金沢を代表するブランド・イチゴとして確固たるものになった欲しいとの思いからです。悪しからず…」

上物の規格選別を厳しくしたあとの規格外品の販売なら、違ったネーミングにしなければいけないだろう。

この安田さんの指摘を素直に改善して取り組んでいけるなら産地としての評価を高めるだろう。いまや東京・大田市場でもせりにかけられるのは全入荷量の2割もないだろう。せりにかけられるのは特定の品目だけだ。あとは予約相対と称する先取りで流通する。価格は流通させたあとに全体のバランスで決定されていく。こうして市場ではせり全盛時代のように商品の評価機能はなくなりつつある。では完全になくなるのかというとそんなことはない。むしろ消費者からの指摘があるからかなり厳しくなっている。無言でリピートされなくなるのだ。

ではこれから生産者はどう対処すればいいのか。安田さんも触れておられたが競合産地の動向を市場で確認するのがいちばん分かりやすい。銘柄品は規格選別も厳しくされているしそれなりの努力がされている。そのことを自分たちの眼で確かめることだ。そしてあそこの産地のあれでないといけないというくらいに産地銘柄指定がもらえるほどでないと、今後は生き残れないだろう。


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2011年5月3日火曜日

奥州・藤原文化の食料基地は「江刺」だ!!



歌人・西行を敬愛した松尾芭蕉も平泉にやって来ました。奥州藤原氏や義経の栄華も夢のように儚いと名句を残しました。

ところで平安時代末期の平泉に武士の都を築いたのは藤原清衡でした。

平泉には中尊寺、毛越寺など京都と比べ遜色のない大寺院が立ち並び北の都に燦然と輝いていたのです。

奥州藤原氏初代・清衡が生まれたのが江刺でした。やがて藤原秀衡の時代に平泉は絶頂期を迎えました。残念ながら世界遺産登録は見送られたものの、平泉の文化にはそれ以上のものがありました。

その平泉文化の食料供給基地的役割を果たしたのが江刺であったともいわれます。食料が潤沢に供給されなければどんな文化も栄えません。そこで食料供給基地としての役割を現地で考えてみたい。それが私の20年来温めていた秘かな構想でした。

気心の知れた参加者とともに、平泉文化の一部を実感できたことは望外の喜びでした。

中尊寺に行く途中の高台から遠く束稲山を眺めると、北上川の先に豊に実る広大な水田が広がっています。古戦場に立った歌人西行はいったいここで何を感じたのか。静寂感漂う毛越寺では往時が偲ばれました。

ところで福島大学名誉教授・工藤雅樹さんは『平泉で栄華の頂点を極めた藤原秀衡』のなかで次のように指摘される。

「北の経済システムとは奥州が産する豊富な砂金や日本一の駿馬とされた糠部の馬産。さらに都では垂涎の的となる高級馬具材のアザラシの皮や、矢羽根として珍重された鷹の羽といった、北方世界との交易で得る産物を含めたものだ。

莫大な富を生む北の経済システムを安定的に維持し、これらの品物を確実に京に届けられる存在として清衡は選ばれた」とみごとな解説をされている。

豊富な砂金は中尊寺金色堂に活かされ、日本一の駿馬の馬産の伝統は畜産農家に引き継がれ、「江刺牛」や「前沢牛」として結実しました。

また江刺市の中心地の岩谷堂は古代から地方を支配する豪族の居館がおかれ、北上川の舟運による物資の集散地として開けました。北上川の果たした役割は大きい。

さて岩手江刺農協は 1982年に市内7農協が合併して誕生しました。北上川流域の肥沃な土壌を活かし「米、牛、野菜、りんご」の4本柱を組み合わせて江刺型複合農業が実践されています。「江刺金札米」「江刺牛」「江刺野菜」「江刺りんご」のブランドが確立され、地産地消運動とともに全国へ向けても積極的に対応されています。

「江刺野菜」とは・・・
江刺型複合農業の一翼を担う基幹作物として、果菜三品(トマト、キュウリ、ピーマン)を中心に、葉菜・根菜、花卉や菌茸類など、高品質野菜の長期安定生産に取り組まれています。平成14年度には葉果菜三品生産者全員が、エコファーマー認定を受け、栽培履歴の記録徹底と情報開示に努め、安全・安心と信頼を消費者に提供。

果菜類中心で夏秋キュウリ、促成キュウリ、抑制キュウリ、トマト、ミニトマト、露地ピーマン、トンネルピーマン、ハウスピーマンの産地です。


「江刺りんご」とは・・・
1973年に全国に先駆けてワイ化栽培を取り入れ、団地造成を進め、現在は13の生産団地を中心に栽培されています。各品種とも一流ブランド品として評価が高く、とくに「サンふじ」(ふじの無袋栽培)は平成17年の初出荷で55万円(10キロ入り)の国内最高価格で取引されるなど、全国一の味と品質を誇っているのです。

トマト・りんご選果施設である同農協の園芸センターを視察しました。同センターは平成14年度の事業で取り組まれ、平成15年6月に完成したものです。処理量はトマト7,200cs/日、りんご6,000cs/日の能力があります。


案内していただいたのが園芸部副調査役・駒込利昭さん。NHKの大河ドラマ「炎立つ」に私も動員がかかり、エキストラで出演しましたという駒込さんの説明によると、サンふじ(30%)、ジョナゴールド(23%)、つがる(20%)、その他にきおう(岩手県育成)、さんさ(農林水産省育成)、トキ(青森県育成)があり、来年には新品種が登録される予定という。

訪問したときにはさんさの選果が始まっていました。試食させてもらったが食味はとても素晴らしかった。

りんご産地は標高30mの平場から450mの山間地まであり、品質的に大きなブレがないのが特徴だと自慢する。30年の共販の歴史があり共販率は70%余と見事なものです。やはり銘柄品をつくる産地は強いのです。

農協系統組織の磐石なところは、アウトサイダーの暗躍できる場面がない。組織づくりは見事なもの。まさに伝統の力は恐るべしと実感できる産地でした。

★本稿は2009年10月に取材したものです。










2011年5月2日月曜日

伝統文化「大鹿歌舞伎」を守るお手伝をしたい!

南信州でインターネット通販サイト「直販モール」を運営する木村美津由紀さんは大鹿歌舞伎の開催のお手伝いを始めた。

そのいきさつはこうだ。

「東京在住の時の友人が十数年前に大鹿村へ入村し、一昨年秋の公演が行われる前に友人より「自家米の稲刈りと脱穀の応援」を頼まれ、その稲刈り・脱穀の応援に伺ったお宅のお爺様が”大鹿歌舞伎の大道具の親方”だったのです。

稲刈り後にお爺様から「歌舞伎を見た事あるか?舞台裏の特等席から観せてやる」とお誘いを受けたのが切っ掛けで、イベントの企画・制作・設営経験があったので、お誘いを受けた一昨年から公演時にはお手伝いをするようになりました。

また、なかなか舞台裏が知られることも、記録されていることも少ないので、設営の合間合間に写真を撮って伝え残していこうと思いました。

2008年8月に今の宮田村に越してきて、2009年7月から直販モールを立ち上げました。そして2009年の秋の公演からお手伝いをしています」

大鹿歌舞伎はフリー百科事典ではこう説明されている。「長野県下伊那郡大鹿村に伝承されている地芝居。文書上の記録として初めて登場するのは、明和 4年(1767年)に鹿塩村で上演された狂言とされている(前島家文書)。幕府や政府の禁止にもかかわらず、庶民の娯楽として300年にわたり上演されてきた。

現在では春と秋の1年2回の定期公演が行われる。春の定期公演は5月3日に大河原の大磧神社舞台、秋の定期公演は10月第三日曜日に鹿塩の市場神社舞台が会場として使用される。

古くは村内に13の舞台があったとされるが、現在歌舞伎に使用できる舞台は4か所である。大磧神社と市場神社のほか、葦原神社(鹿塩梨原)の舞台と野々宮神社(大河原上蔵)の舞台がある。葦原神社の舞台は御柱祭が行われる寅申年にのみ歌舞伎が上演される。野々宮神社の舞台はほとんど使用されていない。

上演外題は30演目以上にのぼる。その中で「六千両後日之文章重忠館の段」は大鹿村にのみ伝わる外題である。六千両は6人の千両役者の意であるとされ、できるだけ多くの村人が主役になれるよう工夫されたものだという。役者だけでなく、太夫(浄瑠璃弾き語り)、下座、黒衣、化粧、着付、床山などすべて大鹿歌舞伎愛好会のメンバーが行うのが特徴である」

いずれにしろ伝統芸能を存続させるという大義名分があり、こうした地道な努力が農産物の集荷・販売にも必ず役立つことだろう。

木村さんに大鹿村の人々の魅力はどこにありますか?と質問するとすかさず「頑固さ!」という言葉が返ってきた。

「もちろんいい意味の頑固さですが、人口減少のなかでこうした頑固さがなかったら伝統文化は守れなかったでしょうね」と付け加えた。

ともあれ伝統文化を守るということは、農業を守ることと同じく大切なことである。木村さんが人との出会いを大切にするなかで信頼・信用という大きな宝を見出し、大鹿村が盛り上がっていくことを願いたいものだ。

その大鹿村歌舞伎が、明日5月3日、正午から開催される。

開催日時:平成 23 年 5 月 3 日(火) 開演:正午~

開催 場所:長野県下伊那郡大鹿村大字大河原大磧神社舞台




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