2011年5月2日月曜日

伝統文化「大鹿歌舞伎」を守るお手伝をしたい!

南信州でインターネット通販サイト「直販モール」を運営する木村美津由紀さんは大鹿歌舞伎の開催のお手伝いを始めた。

そのいきさつはこうだ。

「東京在住の時の友人が十数年前に大鹿村へ入村し、一昨年秋の公演が行われる前に友人より「自家米の稲刈りと脱穀の応援」を頼まれ、その稲刈り・脱穀の応援に伺ったお宅のお爺様が”大鹿歌舞伎の大道具の親方”だったのです。

稲刈り後にお爺様から「歌舞伎を見た事あるか?舞台裏の特等席から観せてやる」とお誘いを受けたのが切っ掛けで、イベントの企画・制作・設営経験があったので、お誘いを受けた一昨年から公演時にはお手伝いをするようになりました。

また、なかなか舞台裏が知られることも、記録されていることも少ないので、設営の合間合間に写真を撮って伝え残していこうと思いました。

2008年8月に今の宮田村に越してきて、2009年7月から直販モールを立ち上げました。そして2009年の秋の公演からお手伝いをしています」

大鹿歌舞伎はフリー百科事典ではこう説明されている。「長野県下伊那郡大鹿村に伝承されている地芝居。文書上の記録として初めて登場するのは、明和 4年(1767年)に鹿塩村で上演された狂言とされている(前島家文書)。幕府や政府の禁止にもかかわらず、庶民の娯楽として300年にわたり上演されてきた。

現在では春と秋の1年2回の定期公演が行われる。春の定期公演は5月3日に大河原の大磧神社舞台、秋の定期公演は10月第三日曜日に鹿塩の市場神社舞台が会場として使用される。

古くは村内に13の舞台があったとされるが、現在歌舞伎に使用できる舞台は4か所である。大磧神社と市場神社のほか、葦原神社(鹿塩梨原)の舞台と野々宮神社(大河原上蔵)の舞台がある。葦原神社の舞台は御柱祭が行われる寅申年にのみ歌舞伎が上演される。野々宮神社の舞台はほとんど使用されていない。

上演外題は30演目以上にのぼる。その中で「六千両後日之文章重忠館の段」は大鹿村にのみ伝わる外題である。六千両は6人の千両役者の意であるとされ、できるだけ多くの村人が主役になれるよう工夫されたものだという。役者だけでなく、太夫(浄瑠璃弾き語り)、下座、黒衣、化粧、着付、床山などすべて大鹿歌舞伎愛好会のメンバーが行うのが特徴である」

いずれにしろ伝統芸能を存続させるという大義名分があり、こうした地道な努力が農産物の集荷・販売にも必ず役立つことだろう。

木村さんに大鹿村の人々の魅力はどこにありますか?と質問するとすかさず「頑固さ!」という言葉が返ってきた。

「もちろんいい意味の頑固さですが、人口減少のなかでこうした頑固さがなかったら伝統文化は守れなかったでしょうね」と付け加えた。

ともあれ伝統文化を守るということは、農業を守ることと同じく大切なことである。木村さんが人との出会いを大切にするなかで信頼・信用という大きな宝を見出し、大鹿村が盛り上がっていくことを願いたいものだ。

その大鹿村歌舞伎が、明日5月3日、正午から開催される。

開催日時:平成 23 年 5 月 3 日(火) 開演:正午~

開催 場所:長野県下伊那郡大鹿村大字大河原大磧神社舞台




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