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いま青森では在来種の「毛豆」が
入荷のピーク
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| 濃縮された旨味と甘みはふつうの枝豆と一線を画すおいしさ |
一般的に枝豆の旬は夏と言われていますが、青森では在来種の「毛豆」が入荷のピークを迎えています。
サヤにびっしりと茶褐色の毛が生えていることから「毛豆」。
大粒で食べごたえがあり、濃縮された旨味と甘みはふつうの枝豆と一線を画すおいしさ。
先日、知り合いからいただいたものはとれたてで香りもよく、あっというまにドンブリいっぱい食べてしまいました。
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「固定種と在来種の変遷」②固定種と書いてあれば、どれでもよいのか
種袋に「固定種」と書いてあれば、これなら大丈夫。私も、以前はそう思っていました。
でも、種のことを知るほど、その一言だけでは分からないことが見えてきました。
■ F1から固定した種もある
F1は、異なる系統を掛け合わせた一代交配種です。揃いやすく、生育が早く、形もそろう。農業にはとても便利な種です。種を採ること自体はできますが、翌年蒔いても、親と同じようには揃いません。だから毎年買う。ここまでは、ご存じの方も多いと思います。
ところが、話はここで終わりません。そのF1をもとに選抜を繰り返し、性質を固定していった種もあります。固定種と書いてあっても、昔からその土地で受け継がれてきた種とは限らないのです。
以前、広島ジーンバンクに関わっていた船越さんから、こんな話を聞きました。遠い系統を掛け合わせると、思いがけない性質が現れることがある。それを選抜して、新しい系統として固定していく場合がある、と。その話が、ずっと心に残っています。種は、採れれば同じ種なのか。その疑問が、いまの私の出発点です。
■ 採れることと、受け継ぐことは違う
種が採れる。翌年も芽が出る。似た野菜が育つ。それだけなら、種をつないでいるとは言えます。でも、その土地の気候と土と水と季節、そこで育てた人の選抜の中で、何十年も残されてきた種とは、意味が違います。
だから私は、採種できるかどうかだけでなく、どんな歴史を持った種なのかを見るようになりました。
■ 見落としやすいこと
一つは、品種登録です。固定種でも、登録されている品種には育成者権が関わります。表示だけを見て、自由に自家採種できると決めてしまうのは危険です。
もう一つは、種子消毒です。種袋の小さな文字に「種子消毒済み」とあることがあります。固定種でも、消毒された種はあります。
■ 袋の文字より、種の来歴
袋の文字だけでは、何も分かりません。だから、できる範囲で、次のところを見ます。
・F1ではないか、F1をもとにしていないか
・交配や選抜の履歴が分かるか
・どこで、どんなふうに採種された種か(無農薬か)
・品種登録の対象ではないか
・種子消毒の有無
もちろん、全部が分かる種ばかりではありません。だから、買った種をゴールにしない。
買った種を蒔く。育った中から、良いものを選ぶ。種を採る。翌年、その種を蒔く。これを何年も繰り返すと、その土地に合った種が、自分の畑に残っていきます。種は、買って終わりではなく、そこから始まる。これが、自家採種のいちばん面白いところだと思っています。
種には、袋に書かれていない変遷があります。買うだけでなく、残す。つなぐ。そのことを、もう一度考えてみたいと思います。
#種と土の奇跡 #無肥料栽培 #自家採種 #固定種 #在来種 #石井ピュアファーム #未来の食卓
よしき@九州の山奥で有機農業さんから
農水省で働いていた頃には見えてなく、農家になって初めて見えたものがある。
自分の手で土を触り、泥まみれになって野菜を作る。近所の農家と立ち話をする。
「今年は暑すぎる」
「この値段じゃ厳しい」
そんな何気ない話を聞く。
自分で作った野菜を届け、お客様から直接、感想をもらう。
そうやって現場に立つようになって、同じ「農業」でも、以前とはまるで違う景色が見えるようになる。
データを見ることも、制度を考えることも大切。でも、数字や資料だけでは見えないものが確実にある。
現場に立てば、「なぜ、こうなっているのか」が見えてくる。
逆に現場を知らなければ、正しいことをしているつもりでも、いつの間にか現実とズレていく。これは農業だけの話じゃないと思う。
世の中を動かす人ほど、現場に戻ったほうがいい。答えは会議室より、現場に落ちていることのほうが多いのだから。
種取りをする人たちの間では、
自分で採り始めて九年までを自家採種、
十年以上を在来種、五十年以上を家宝種と呼ぶこともあります。
「固定種と在来種の変遷」①もともと、何を指していたか
種の話になると、固定種、在来種、F1の違いを見極める必要が出てきます。
昔は、もっと単純でした。その土地で採り、また蒔く。残った株が、次の年の種になる。それだけのことでした。
在来種は、その土地で長く採り続けてきた種です。
気候も、土も、人の好みも、種の中に残ります。揃わない。遅いものも早いものもある。それが、土地の顔でした。
種取りをする人たちの間では、自分で採り始めて九年までを自家採種、十年以上を在来種、五十年以上を家宝種と呼ぶこともあります。
固定種は、性質を落ち着かせた種です。
良いものを選んで採種し、何代も繰り返す。翌年も同じように育つ。種屋では、選抜を重ねて固定したものを固定種と呼びます。
在来種は、その土地に根を張った固定種だ、と考えてもよいでしょう。ただし逆は成り立ちません。全国で売られる固定種が、特定の村の種とは限らないからです。
ここでは、種は残すものでした。買うことはあっても、畑でつなげる種でした。
そこから名前だけでは区別が難しくなっていったのは、人が混ぜ、急ぎ、商品の名前を付け始めてからです。
※次回は、F1と固定種が混ざり、名前だけでは分からなくなった話です。
石井吉彦|種と土と野菜の学校「石井ピュアファーム」代表さんから
「無肥料栽培と自然栽培の変遷」③いま、なぜ区別がつかないのか
自然栽培と無肥料栽培は、同じように扱われています。どちらも「自然に近い」「肥料を使わない」という、似た響きを持っているからです。
法律上の定義はありません。認証制度もありません。表示のルール上、「無農薬」「無肥料」という言葉自体を書きにくい場面すらあります。
結局、名乗るかどうかは、売り手と作り手の判断に委ねられています。
だから、こんなねじれが平気で起こります。
「自然栽培」と書きながら、植物性堆肥や米ぬかは入れている。「無肥料栽培」と書きながら、ぼかしだけは別枠だと言う。
種はF1、苗は肥料床育ち、水は普通の用水。
それでも、自然、無肥料と名乗れてしまう。
買う人には、この違いは見えません。
同じ棚に、同じ言葉で並んでいるからです。
でも作る側から見れば、畑の中身はまったくの別物です。
見るべきなのは、名前ではありません。中身です。
肥料を足しているか。堆肥、ぼかし、液肥、腐葉土を足しているか。苗床に肥料はあるか。直播か、それとも育苗か。種は消毒済みか、F1か、それともその畑で採ったものか。
農薬は使っているか。草は、残すこと自体が目的か、作物のために刈っているか。
自然栽培を名乗りながら、実際には何も足していない人もいます。
無肥料を名乗りながら、実は足している人もいます。
言葉だけを追いかけても、どちらも見分けはつきません。
私たちが無肥料栽培と名乗るのは、文字通り、本当に何も足していないからです。
それだけの、単純な理由です。
名前はこれからも混ざり続けるでしょう。
だからこそ、何を入れない農法なのかを、言葉より先に、畑そのもので示す必要がある。私はそう思っています。
#種と土の奇跡 #無肥料栽培 #自家採種 #自然栽培 #石井ピュアファーム #未来の食卓