2011年4月13日水曜日

伝統野菜を語り続ける灯は消えず

【特別寄稿】


寺田 秀三

(福岡大同青果株式会社 コンプライアンス室兼特命業務担当部長)

生産農家が手塩にかけて育てた農産物は、市場に持ち込まれたときから商品になります。


(右写真:寺田秀三部長)

需要と供給のバランスが最大の価格決定の要素ですが、加えて「食味、外観、色合い、形状」など青果物の特性、買い気、などの思惑、天候などが絡んで相場が形成されます。


価格のない青果物の値段を決める価格形成機能が、市場の市場たる所以だといえます。


市場の花形はせり人ですが、例えるならば仲人。少しでも高く売りたい生産者と少しでも安く仕入れたい需要者を仲介する役割です。今では競売の比率は下がり、相対と呼ばれる販売方法が主流になりましたが、競売という生身の人間のやりとりは市場の原点であり、その灯が消えることはありません。


昭和50年代になると、小売業においてはスーパーという名の量販店が登場します。この頃から零細多数の生産者、比較的規模の小さな八百屋さんで形成されていた市場は、「大型産地・大型量販店」の時代へと移行していきます。


そのような時代の流れのなかで、青果物の知識が豊富な街の八百屋さんは「量販」という力に押され、極端に少なくなってしまいました。「定時、定量、定価、定質」を求める量販店への対応は大型産地が不可欠であり、消費者の購入価格も百円均一セールにより、価値感はワンコインに凝縮されました。

(左写真:山潮菜)

「簡単・サラダ・甘い・安い・きれい」という価値観で現代的に評価され、「辛い・酸っぱい・苦い・大きい」などの青果物は敬遠され、伝統的な昔からの野菜は少しずつ姿を消すようになりました。


しかし一方、「京野菜」が厳しい生産環境のなかでも、京都の伝統野菜としていまに受け継がれています。日常の食生活でこうして伝統野菜が守られてきたという意味は大きいのです。どんなに品種改良を重ねてきた野菜より、伝統野菜にははるかに味わい深いものがあります。すぐれた伝統を重ねてきた都には、伝統野菜もしっかりと残っていました。


時代の変遷は、生産も販売も大きく変容させましたが、変えてよいもの、変えてはいけないものもあります。食はその土地の気候・風土が育んだ文化であり、その地で生活する私たちの原点、存在証明です。

(左写真:博多かつお菜)

博多雑煮の食材である「かつお菜」は、近郊野菜生産者の地道な努力により、正月野菜としての需要から、少量ながらも日常の食生活で使われる野菜として、市場流通が復活しています。


博多の伝統的な野菜を市場で卸売することは、市場の原点を見つめることであり、市場の心そのものです。そこに存在価値があるのだと思います。したがって、ふるさと野菜を語り続けるという灯を市場が消してはなりません。


たとえ時代の要請が効率化・合理化であったとしても、その価値尺度で計れないのが博多の食べものであり、それを支える伝統的な野菜を育てるのはとても素敵なことだと思います。















2011年4月12日火曜日

飛躍めざす京都・鮮魚仲卸「シーフーズ大谷」

京都市中央卸売市場・鮮魚仲卸業者の株式会社シーフーズ大谷 は市場に入荷しない珍しい魚を産地から買い付け、独自の食材を求める和食店、洋食店などに卸すビジネスを拡大している。

シーフーズ大谷のホームページをご覧いただきたい、なかなか立派なWebサイトである。

(写真:4代目大谷透社長とお化けマハタ82キロ

いまの中央卸売市場流通は規格効率化一辺倒で少量の珍しい魚種はなかなか市場に入荷しないのが現実である。これは青果物の流通もまったく同じである。大型流通が硬直化しているのである。しかも大型スーパーは産地直接仕入れをして独自性を打ち出している。さらに卸会社は仲卸に肝心な情報は出さない。

こうした厳しい環境のなかで、シーフーズ大谷は、既存の魚に満足しない商品を独自に集荷して顧客に提供、生き残りを模索しているのだ。

得意先である飲食店の依頼をきっかけに3年前から市場業者が扱わない魚の仕入れを本格化。京都でなじみが薄く入荷しない魚を常時約50種類扱っている。

仕入れは独自に長崎県・五島列島や高知県、宮城県などの網元、仲卸業者から直接買い付ける。多彩な品ぞろえで販売先は京都市内から広島や長野、埼玉などに広がり、フランス料理やイタリア料理の店が多いという。

小笠原諸島近海で捕れた体長2メートル、重さ82キロに及ぶマハタを集荷した。京都市内の居酒屋が一匹まるごと購入したという。大谷透社長は「今後もよそにない珍しい魚を仕入れ、販売先を広げたいとしている。

青果物も同様だが、卸が仕入れる商品だけで販売を考えているのではこうした動きはできない。効率優先で動く卸ではこうした品揃えはできない。どうしても硬直してくる。だから卸売市場制度にどっぷり浸っていると、こうした発想はでてこない。

そこで仲卸業者は独自性を模索しなければならない。自社で直接仕入れ、販売を目指していく必要がある。しかも中央卸売市場の情報はどこの業種にも負けないほどのものがある。卸はなかなか肝心な情報を仲卸に提供しないということもあるが、それでも問題意識さえもてば情報収集は可能なのだ。昔と違いうまくネットを活用すればいくらでも情報入手はできる。そうした利点を生かしネットを活用すれば、いつでもどこにでも宣伝はできる。

一方、洋食店、和食店の料理人もそうした素材を求めているのである。独自の素材を求めている。市場の仲卸にはあまり知られていないが、一流の料理人の情報収集能力は格段に優れている。一昔前ならこうしたツールがなかったので販売先は限られていたのだが、ブロードバンド時代はこうしたビジネスの可能性を拡大させたのである。コンテンツを明確にして独自性を打ち出せれば、仲卸こそ可能性を秘めたビジネスが展開できるのである。

大谷社長と「クエ」

小笠原諸島近海で捕れた体長2メートル、重さ82キロに及ぶマハタを入荷した。京都市内の居酒屋が一匹まるごと購入したという。大谷透社長は「今後もよそにない珍しい魚を仕入れ、販売先を広げたいとしている。青果物も同様だが、卸が仕入れる商品だけで販売を考えているのではこうした動きはできない。効率優先で動く卸ではこうした品揃えはできない。どうしても硬直してくる。だから卸売市場制度にどっぷり浸っていると、こうした発想はでてこない。そこで仲卸業者は独自性を模索しなければならない。自社で直接仕入れ、販売を目指していく必要がある。

この「日本農業再生」サイトの訪問客は、2割の方々が英語圏の人たちである。私は今日もサンフランシスコとドイツに青果物小売価格の調査をしたばかりである。目的意識さえ持てばこうしたことも可能だ。ところで大谷社長はこうした独自仕入れ分については、ちゃんと開設者に申請して手数料も支払っているのである。平成16年の卸売市場法改正法により、電子商取引による商物分離が合法化された。卸売会社がこうした手間隙のかかる商品の集荷に乗り出さないのであれば、仲卸は独自の仕入れを展開していかざるを得ない。

市場流通の流れは自由取り引きに向ってることはもう間違いのないところである。 ところで京都市中央卸売市場は、昭和2年わが国で最初に開設された中央卸売市場である。100年以上続く伝統ある京野菜がいまだにしっかりと保存されるなかで、京野菜セットをまるで和菓子を思わせる斬新な発想で全国に普及させた「京野菜・かね正」 の功績も大きい。こうした伝統のなかで、たえず新しさが生み出されていくところが京都の魅力だ。

最後に大谷社長のブログに書かれた消費者に対するメッセージを紹介して終わりにしたい。

「私がいかに魚好きか、また本当においしい魚を皆様に食べていただきたいか、それがブログから少しでも伝われば、うれしいです。一般の方が目にするスーパーマーケットの魚はほんの一握りの種類にすぎません。皆さんが知らない、おいしくて、安い魚があることを伝えられれば、と思っています。明日も長崎から底引き網で獲られた赤ムツをたくさん集荷しております。網で引きずられているため、鱗が剥げ落ち、見た目は良くありませんが、絶対においしい(私の最後の晩餐)はずです。値段も釣りの綺麗な(脂はあまりノッテいない)ものの、半額に近い値です。

こんな魚を子供たちや魚嫌いの人に食べさせてあげ、一人でも多くの人が魚好きになるようにするのが私の夢であり、使命だと思っております。 一般の方には売らないのか?というお問い合わせですが、大歓迎ですよ!宅配を使って、代引きという形であればOKです。遠慮なくお電話ください。(新聞の記事見ました。とか、ホームページ見ました、とかブログ見ましたとか、コメント入れた者ですとか、必ずおっしゃってください。サービスいたします。もちろん店頭まできていただいてもOKです。今、アクセスカウンターが、40000に迫っています。何か怖いような、また、身の引き締まる思いです。どうぞ、皆様これからも、シーフーズ大谷を応援してください」




2011年4月11日月曜日

丸果石川中央青果の社員研修が近江町市場で始まる

今回の東日本大震災においても仙台市中央卸売市場をはじめ各地の卸売市場は健在でライフラインの健全さを見せ付けた。あらたに防災の観点からも全国の卸売市場制度は評価されていいだろう。

ところで北陸の流通の拠点は伝統に育まれた金沢市中央卸売市場である。

いよいよ新年度になり卸売会社の丸果石川中央青果株式会社では新入社員研修がきょうから始まった。これまでは量販店等での研修は行われてきたが、専門店が結集する近江町市場の八百屋さん・果物屋さんで研修するようになって今年でまだ2年目だ。

学生時代に量販店、外食産業等でアルバイトをする若者はたくさんいるが、消費者との対面販売やプロの目利きの凄さを目の当たりにできるという意味で近江町市場での研修はまた格別だろう。

ところで近江町市場は市民の台所と親しまれてすでに290年の歴史を刻んできた。しかしこうした伝統の中にあっても新しい商法に取り組む心意気も備えている。近江町市場青年部では昨年、ツイッター部会をつくり若き店主たちが食生活のことを呟いて集客に貢献しているのだ。

青果卸売会社の丸果石川中央青果株式会社で教育・研修を担当する岡嶋啓介常務取締役の談話

「新入社員の研修を近江町市場のやおやさん・くだもんやさんにお願いして2年目になります。近江町市場こそいちばんの勉強場所だと考えています。三日間という短い期間ではありますが、新入社員が将来、当社の戦力として巣立っていく上で、貴重な経験になることでしょう」

女性職員も研修に参加しています。将来は事務職としてよりも消費アドバイザーとしても活躍されることを願いたいものだ。

取材協力金沢・近江町市場の果物屋 市安商店



被災地で祈る僧侶


もうへたな言葉はいらない!

魂が揺さぶられます・・・


写真提供:廣川英昭さんのウォールから

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賑やかなはずの土佐の日曜市だが・・・

土佐の魚屋@山もと店主 山本英男さんからの報告

賑やかな土佐の日曜市!

しかし、残念ながら観光客は激減し、宿泊キャンセルも・・・

イベント等もどんどん開催して欲しいですね!

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ところで、今年はタケノコは不作だとか?




これから 高知市は「竹の子」だらけに(^^ゞ 価格もどんどん下がってきます。「鰹の中骨」をダシに使うことが多く 私の店も早めに骨を冷凍保存しています。


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今シーズンついに登場!「絹かわなす」

築地・政義青果の近藤義春社長からの連絡

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今シーズンついに登場!

・・・・・・



愛媛「絹かわなす」 2L デカいなぁ・・・・


2011年4月10日日曜日

東京の青果小売商は元亀、天正時代に成立


https://www.sbu25.com/






東京の青果小売商は元亀、天正時代に成立











青果物の流通を考えるとき、生産者同様に青果小売商の組合、ことに東京の東京都青果物商業組合(井口幸吉理事長)のことを抜きには語れない。

千代田区神田練塀町にある同組合のTSKビルを訪問した。同理事長の説明によると、組合員の卸売市場における仕入れ代金を、3日目に1円の間違いもなく、一 括して卸売会社、仲卸会社に支払っている。そのため数百、数千人の組合員の仕入れ代金の管理を行い、卸売会社、仲卸会社には支払いの保証をしている。

こ の代払い方式は、国内はもとより世界を見渡しても見当たらない稀有のシステムである。組合創立の父と称せられた大澤常太郎元理事長が創り上げた素晴らしい システムですということである。市場が今日まで存続してきたのはこの代払いシステムにあったと言っても過言ではないだろう。

ところで同組合の資料「思ひ出の組合発展絵物語」によると、青果小売商が一つ商売として生まれたのは元亀、天正時代(いまより400有余年前)という。そのころ今の豊島分場の前身駒込市場付近に青物市場が開かれて江戸近在の野菜が取引されていたという。

私も全国の市場を歩いてきたので分かることだが、どこの市場でも小売商組合の事務所に行くと大澤常太郎翁の写真が飾ってあった。功績については追ってご紹介しよう。





2011年4月9日土曜日

江戸は世界最大の都市でエコ社会

17世紀の江戸は人口が100万人に達し世界最大の都市でした。しかもロンドンやパリにくらべとても清潔な町だったようです。その秘密はリサイクルが徹底されみごとな循環型でエコ社会が実現していたからです。

江戸庶民の一般的な暮らしは長屋住まい。とくに共同トイレは、庶民の排泄物が溜まり、衛生面では一番気を使わねばならない場所でした。しかし、そこは循環型でエコ社会が徹底していた江戸時代のこと、たとえ住民の排泄物とて無駄にはしなかったのです。

ところで100万を超える人々が生活していたため、食料は大変な量を調達しなければなりませんでした。江戸に幕府が開府されたころ、まず徳川直参の家来たちの屋敷や各地大名の江戸屋敷が整備されましたが、各地大名はその食料調達に自らの屋敷内にお国の野菜類を持ち込んでは畑を作っていました。米は地方からの長距離輸送も可能でしたが、生鮮野菜などは江戸で調達しなければなりません。 そして各大名屋敷でも、それらを購入して消費するようになっていきます。 

大名たちの需要を賄うための職人が集まり、同時に周辺には農地も整備され、大名たちがそれぞれの国から持ち寄った各地の野菜の種をもとにして、農民たちが江戸で野菜を作りはじめます。 そうした事情で、江戸には日本全国の特色ある野菜が栽培されるようになりましたが、それらの肥料は、主に農家から出る人糞や、魚の鰯などを絞ったカスが使われました。 それでも人口100万の都市を支えるには、大量の食料が必要で、生産性をあげるためには、ふんだんに肥料を使う必要があったのです。

そこで、江戸に集まった農民以外の人々が排泄する人糞が、役に立ちました。江戸ではそれらを集める 「 下肥問屋 」 という商売が成立しました。集めた人糞を農家に販売していましたし、下肥問屋は、主に長屋の大家さんと契約して、お金を払って集めていたのです。 こうした話を友人にしていましたら、「そうだよ。とくに大奥の糞は川(隅田川)向こうへ運ばれた。現在の江戸川区あたりが集積地だったんだよ」と彼は独自の珍説を開陳してくれました。そうか。小松菜や亀戸ダイコンなどの江戸野菜はとても肥沃な土壌でしかも養分たっぷりで栽培されていたわけだなと合点しました。 ところでパリ周辺の貴族のお城では2階や3階の窓から糞尿がバケツで表の庭へ投げ捨てたられたといわれます。下水道が完備していなかったとはいえ、日本人の感覚ではちょっと貴族たちの生活にはあきれます。

ともあれフランスで香水が普及した意味がやっと理解できました。 作家・開高健さんがどこかに書いていましたが、パリの街角やセーヌ川の橋の下でご婦人が平気で用をたす光景をみられたそうです。日本のマスコミはそうしたことをちっとも報道していないとお嘆きでした。これではセーヌ川河畔で愛を囁くアベックはたまったものではありませんね。 いやこれは遠く江戸時代の話ではありませんでした。私の育った九州では各家庭の畑で昭和30年代後半までこうした光景を見かけました。畑に穴を掘って糞尿を入れそれを発酵させて畑の肥料として使用していました。むろん油カスも使用しましたが。

しかし、戦後占領軍にとってはこうして栽培された野菜を食することが悩みの種でした。米軍は40万人の駐留軍を投入したといいます。そこで問題となったのが米軍の食料調達です。肉やパンは本国から輸入できても野菜は江戸時代と同じことで、鮮度のいいものを現地調達しなければなりません。いまでこそ冷凍技術の発達で、ブロッコリーがアメリカから輸入されたりします。しかし、当時はまだコールドチェーン技術は普及していませんでした。日本では菜っ葉に人糞をかけているというわけです。

そこで米軍はその解決策として、基地の近くの調布に広大なハイドロファーム(水耕栽培施設)を作りました。建設施工したのは間組。同社の100年史にはそのことが記録されています。施設で作業したのは巣鴨プリズンにいた人たち。さすがは米軍です。みごとな実験でした。しかしこの施設はどうしたわけか長く続きませんでした。その原因はいつか腰を据えて調査してみたいと思います。

いつしか野菜の人糞栽培を嫌うことで清浄野菜という使い方がされるようになりました。人糞使用では清潔感がないということだったのでしょう。

ところで清浄野菜が大きく飛躍したのは、1964(昭和39)年に東京で開催された第18回オリンピックがきっかけです。

93の国と地域から5,152名の選手が訪日したのです。関係者、観客を入れると10倍以上でしょう。そのための食材が必要でした。こうしてオリンピック開催で社会が大きく変わりました。ともあれ戦後初めて国際化の仲間入りを遂げたわけですから。

また忘れてならないのは、食の洋風化が進行していったのもこのころからです。それに伴い西洋野菜の需要が急速に拡大していきました。さらにその年にスーパーのダイエーが関西地区から首都圏に進出したことです。4店舗をオープンさせました。そしてスーパーが雨後のタケノコように台頭してきて、小売業の形態が様変わりしていきました。

築地市場の古老の話によりますと、代々木のオリンピック村に食材配達をしたそうです。オートバイで日に何回運んだか分からないほどで寝る間はなかったようです。

こうしてオリンピック開催をきっかけとして、その前後に産地では化学肥料が投入されていくようになりました。消費が喚起されることによって、産地では農協共販が進展していきました。

一方、平成になり北海道・千歳で自動制御技術をもった大手メーカー傘下の企業が、地元生産者と共同で米軍のハイドロファームならぬ大温室をつくりトマトの周年栽培を開始しました。施設はオランダからハウスづくりの技術者を招いて建設されたものでした。ところがすぐに失敗してしまいました。幸いに私はそこの社長に取材する機会がありました。「なぜ失敗したのか」聞きますと「夏場の高温障害」のためということが分かりました。農産物は生き物です。人工的な制御はかんたんなことではありません。

こうした時代の変遷とともに流通は様変わりしてきました。大量生産、大量消費という流れができてきた矢先にバブル経済が崩壊。経済が後退するなかで、暗中模索が始まりました。化学肥料も万能ではなくなりました。有機栽培、自然栽培の見直しも始まっています。庶民の暮らしもファーストフードではなくスローフード見直しがなされています。

おそらく今年の正月は、景気を反映して旅先の宿より各家庭で静かに迎えられる方が多いことでしょう。食文化見直しのきっかけにしてもらいたい。

ところで昨年の夏、フランスのドキュメンタリー映画『未来の食卓』は環境問題、有機農業を提唱することで注目を集めました。ジャン=ポール・ジョー監督は次回作を福岡県桂川町でも撮影しましたが。

わが国でも昨年、青森県で有機農業で水田作を展開する三上新一さんが天皇杯賞を受賞されました。環境問題とともに有機農業への関心はたかまるばかりです。志ある外食産業の経営者でこうしたことに理解を示す経営者は増えています。これからはソーシアルメディアの普及とともにもっとこうした傾向に拍車がかかることでしょう。江戸時代の庶民の暮らしぶりを再評価して、自然とともに共生していくことを考えていきたいものです。




東日本大震災の農業をいかに立ちあげるのか

平成23年4月7日、ニッポン放送「高嶋ひでたけのあさラジ!」に出演しました。内容は下記のとおりです。


■全国平均の農家経済

農家総所得   457万円 (平成21年)

うち年金等収入 183万円

農外所得  169万円

農業所得  104万円

上 記のようにわが国農業はもう農業所得に依存していません。しかもコメの比率は3割ほどです。(*注意:農家総所得と農業所得を混同している場合がおおい) 「日本農業再生」もこの農業所得100万円を当面倍にすることに取り組んでいます。この規模なら生産者直売所、ネット販売を拡充するだけで可能です。


■卸売市場制度の機能に注目して

一 方、青果物の流通におけるプラットホームは八戸、盛岡、仙台、福島、茨城、千葉にある中央、地方を問わず「卸売市場」が幸いにも大きな被害を受けることな く健在でした。流通の円滑化という課題は残すものの最低限のライフラインの流通は確保されています。マスコミはあまり取り上げませんが「卸売市場制度」の 機能は防災の観点からももっと評価されるべきです。


■塩害からの農地復興について

昭和34年9月26日伊勢 湾台風が襲来しました。死者と行方不明者で5000人。愛知県・海部郡、知多、三重県の伊勢湾岸の水田が海と化しました。60から90日間も海水が引かな かったといいます。当時を体験した人たちによると、それでも水田は3年ほどで復興したのだそうです。当時からすると農業技術は大きな進歩をしています。や る気を出すのならいまでは水田の復興に3年かからないと考えられます。こうしたありがたい事例から学習すべきです。


■風評被害への対処法

出されるべき情報が正確にだされないために消費者は疑心暗鬼になっています。しかし阪神淡路大震災のときと大きく違うのは、ボランティア活動も拡大してきました。またツイッター、フェイスブック、ブログ、動画などのソーシアルメディアの普及拡大も大きな変化です。

た とえば茨城県園芸流通課では「うまいもんどころ」を看板にツイッターで茨城の食の魅力について呟いていました。それがいまは風評被害に対処して基準値以下 の野菜についての情報も積極的に提供して消費者に直接「安心・安全」を告知して大活躍です。さらにフェイスブックにも国内外を問わず支援者が多い。このよ うに生産者と消費者が直接に交流できるようになったことは大きな変化でしょう。


■地方自治体からも支援の動きが

島根県では、東日本大震災で被災した生徒等が島根県内の高校、高等技術校、農業大学校に転入学する場合、入学料、授業料、寄宿舎料を助成するという動きが始まりました。

金沢ブランド・五郎島農園のいちご「五郎の恋人」が入荷!

金沢・近江町市場の果物屋 市安商店の代表安田恒夫さんがいまお薦めしているのがこの「いちご」。

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金沢ブランド・五郎島農園のイチゴ「五郎の恋人」が入荷してます♪


少しでも多くの方に知って頂けるように頑張ります!