【特別寄稿】
寺田 秀三
(福岡大同青果株式会社 コンプライアンス室兼特命業務担当部長)
生産農家が手塩にかけて育てた農産物は、市場に持ち込まれたときから商品になります。
(右写真:寺田秀三部長)
需要と供給のバランスが最大の価格決定の要素ですが、加えて「食味、外観、色合い、形状」など青果物の特性、買い気、などの思惑、天候などが絡んで相場が形成されます。
価格のない青果物の値段を決める価格形成機能が、市場の市場たる所以だといえます。
市場の花形はせり人ですが、例えるならば仲人。少しでも高く売りたい生産者と少しでも安く仕入れたい需要者を仲介する役割です。今では競売の比率は下がり、相対と呼ばれる販売方法が主流になりましたが、競売という生身の人間のやりとりは市場の原点であり、その灯が消えることはありません。
昭和50年代になると、小売業においてはスーパーという名の量販店が登場します。この頃から零細多数の生産者、比較的規模の小さな八百屋さんで形成されていた市場は、「大型産地・大型量販店」の時代へと移行していきます。
そのような時代の流れのなかで、青果物の知識が豊富な街の八百屋さんは「量販」という力に押され、極端に少なくなってしまいました。「定時、定量、定価、定質」を求める量販店への対応は大型産地が不可欠であり、消費者の購入価格も百円均一セールにより、価値感はワンコインに凝縮されました。
(左写真:山潮菜)
「簡単・サラダ・甘い・安い・きれい」という価値観で現代的に評価され、「辛い・酸っぱい・苦い・大きい」などの青果物は敬遠され、伝統的な昔からの野菜は少しずつ姿を消すようになりました。
しかし一方、「京野菜」が厳しい生産環境のなかでも、京都の伝統野菜としていまに受け継がれています。日常の食生活でこうして伝統野菜が守られてきたという意味は大きいのです。どんなに品種改良を重ねてきた野菜より、伝統野菜にははるかに味わい深いものがあります。すぐれた伝統を重ねてきた都には、伝統野菜もしっかりと残っていました。
時代の変遷は、生産も販売も大きく変容させましたが、変えてよいもの、変えてはいけないものもあります。食はその土地の気候・風土が育んだ文化であり、その地で生活する私たちの原点、存在証明です。
(左写真:博多かつお菜)
博多雑煮の食材である「かつお菜」は、近郊野菜生産者の地道な努力により、正月野菜としての需要から、少量ながらも日常の食生活で使われる野菜として、市場流通が復活しています。
博多の伝統的な野菜を市場で卸売することは、市場の原点を見つめることであり、市場の心そのものです。そこに存在価値があるのだと思います。したがって、ふるさと野菜を語り続けるという灯を市場が消してはなりません。
たとえ時代の要請が効率化・合理化であったとしても、その価値尺度で計れないのが博多の食べものであり、それを支える伝統的な野菜を育てるのはとても素敵なことだと思います。
0 件のコメント:
コメントを投稿