農業のあり方を模索する日々
農業のあり方を模索する日々
宮沢賢治の雨にも負けずと言う詩がある。
その中でヒドリノトキハナミダオナガシ
サムサノナツハオロオロアルクという部分があるが
文学者はヒドリはサムサと対峙してヒデリの誤りだとする。
私はずっとヒドリで良いと行ってきた。
ヒドリとは日時を決めること。
水田に化学肥料を使うことは賢治の生きた時代にはかなり普及していた。
農家は豊作貧乏、不作貧乏。金肥の代金を支払えない。
そして、農村は貧困を極める。
自殺、心中などでなくなった人の葬式、身売り。
そんなときの日取りを決めるときは涙を流しといっているのではないかと思う。
そんな、昭和の初め。国内の社会不安から昭和の戦争は始まっていった。
母が生きていたとき残飯に何か粉をかけていた。
この粉は何かと聞けば窒素肥料だという。残飯の分解が早いのだという。
その時、はっとした。
水田、畑などの農地に窒素を入れると有機物の分解が進んで土壌中の有機物の分解をすすめるのか。
そのため金肥を使い続けなければならなくなるのか。
肥料を使うとその時は植物は良くなるが土壌を急速に壊す。
そのことについての文献を調べた。ありました。
青森農業試験場、北海道農業試験場で研究されていた。
戦後すぐの研究だった。
古い文献を取り寄せて読むとそこには背筋も凍るようなデータがあった。
それに気づいたのは30年ほど前。
それから私は試行錯誤をして今の農業のスタイルを作り上げました。
再び農村の貧困を生み出してはいけない。
そんな農業のあり方を模索する日々でした。
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