充実してきたフルライン・サプライヤーとしての機能
全国卸売市場の仲卸は、店舗数が激減しそうな気配である。とくに果実の仲卸が顕著であるようだ。
■写真:中川恵次 万果グループ代表
果実の市場経由率は平成16年の統計で 49%とついに50%のシェアを割り、その後もシェアダウンが続いている。そうしたな かでひときわ意気軒昂な果実の仲卸があるのだ。
大阪のマンカ流通グループである。
本部としてはマンカシステムサービスがあり、仲卸店舗としては 大阪市中央卸売市場・本場を拠点に万果があり、大阪府中央卸売市場でもマルマンという店舗展開。さらに新三協食品流通センター、浩栄、三協、ジェイアンド エフ、ココロ、ニシムラでフルラインの対応をするマンカ流通グループ(中川恵次代表)が形成されている。
このようにして流通センター、運輸部門、小売部門、花き事業などを展開しているのである。大手量販店、生協などへのフルライン・サプライヤーとして発展してきた。
私 は長年、同グループをウオッチングしてきたが、フルライン・サプライヤーとして商社的機能を装備したという意味で、おそらく日本一の仲卸だろう。
他の仲卸の追随を許さない。
■万果本社ビル
人材も各社にサムライたちが育ってきた。東京・大田市場にだってこうした仲卸はいない。
これから規制が緩和され流通が激変する なかで、同社の存在は大きな意味を持ってくるだろう。
かつて大田市場、大手仲卸の若手経営者を引き連れて、大阪の同社を訪問したことがある。大田市場では神田市場の伝統を引き継いできただけに日本一の機能を装備していると思っている。これではいかんということで大坂市場を案内したのである。
そのとき15名の同行者が異口同音に発した言葉が「マンカ流通グループはもう仲卸ではなく、商社ですね!」ということであった。
同グループの歴史は川勝文次さんが個人商店として営業されていたものを、昭和39年12月に株式会社万果として創業されたのがスタートである。
続いてバナ ナの自由化に対応して昭和40年、場外の摂津市に3人の協同で三協が設立され、これが発展して新三協食品流通センターとなった。
社長も創業者の川勝文次さんから、森栄一さん、磯部誠治さん、中川恵次さん、そして同じ姓だが血縁関係はない中川哲夫さんとバトンは続いている。
いまでは川勝文次さんの個人商店時代を支えた役員は中川恵次代表お一人となった。創業者、川勝文次さんの先見性はだれしも高く評価するところだ。
そこで中川代表にどんなお人でしたか訊ねると「仕事中はとても厳しい方でした よ。しかし、いったん仕事を離れるとじつに温もりがあり、また私欲のない方でした」とのことで「私は命日のお墓参りは欠かしたことがありません」と創業者 の遺徳を偲ばれている。
それにしても昭和40年代初期に、仲卸が商社的機能をめざして場外に進出するとは大英断であったのだ。
東京の神田や築地市場で場外にセンターを作ろうなどという発想をした仲卸はどこにもない。ところが大手量販店対応をするならセンターなくしてできないのである。昭和40年代というとまだ八百屋の勢力が相当あったために一般的には考えなくてもよかったのである。そして場外に出るとノウハウが全く違ってくるのだ。商社的発想を取り入れていかないといけない。
水面下では流通が大きく変わろうとしているのをどう読みこなすかが勝負どころである。仲卸だけではない。卸だって同じだ。この対応を誤ったために名門の卸が格下の卸に買収されたところはいくらでもあるのだ。
いまでは地価高騰で用地の確保だってままなら ないのだ。まだ多くの仲卸が市場の中でしか仕事をしていない。それは待ちの仕事である。市場外に積極的に営業活動できる仲卸がいないのだ。たとえば、築地 市場の仲卸などはまだ金の座布団に座ったままの商売である。これからは市場に仕入れに来ない見えない顧客に、どう営業を展開していくのかが勝敗を決する。
そうした意味でマンカ流通グループ発展のカギは、市場外の流通センターの存在が握っている、といっても決して過言ではないだろう。
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