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有機野菜問題に火がついたのは作家・有吉佐和子さんが朝日新聞の
1974年(昭和50年)10月から75年6 月まで連載した「複合汚染」がきっかけとなっ た。つまり、さまざまな公害問題、毒性物質による複合汚染で環境が激変していることを告発し注目された。農産物も影響を受け、食品の安全性が問題になりだ した。
★(写真:角市社長の鈴木忠典さん)
爾来、消費者の食に対する安全性に関心が高まりをみせ始めた。とは言っても、市場はまだ大型共販一辺倒の時代で あった。
いや市場だけではない。農水 省でも全農でも「有機」は傍流であったのだ。「有機」というと白い目でギョロリと睨まれる状態だった。当然、有機野菜の流通は市場外の流通で、マイナー流 通であった。有機野菜は集荷するにもまず量が無かったのである。
大田市場、株式会社角市の鈴木忠典社長は 昭和28年、東京都中央卸売市場神田市場の仲卸に就職、そして昭和44年に独立した。やがて神田市場でも遅ればせながら安心して食べられる農産物(青果物)を必要な時に必要な量だけ手に入るようにして欲しいという要望が出始めた。
有機野菜が入手できないのでは、全国の名だたる集散市場としてあまりにも情けないと感じた鈴木社長は行動を開始した。全国の生産者、消費者、流通業者同士が集まるなかで、どのようにすればそれが実現できるか会合がもたれた。
安 心して食べられる青果物は、堆肥を作り土にいれ、土作りをした農地で栽培された青果物であること、有機農法、自然農法など、栽培方法に特徴のあ る農産物を安心して食べられる食物として議論された。消費者には神田市場に発注すれば、必ず品揃えが出来ると思われていた。しかし神田市場で入手出来ない 物があったのだ。それは有機栽培の農産物で、時々そのような有機農産物の注文を受けるようになると、注文があったものについては「プロとして名誉にかけて も揃えたかった」という。
このような有機農産物が青果物の流通の表舞台に立てない現状をどうして打破するかが課題となった。ともあれ農水省を動かし、系統農協に有機農産物を認めさせることから始めなければならなかった。
昭 和62年全国各地から安全な農産物を市場流通に乗せるべく、多くの人が集まり会議を持ち同士の組織作りから始めた。平成元年に自主基準を発表しそれに沿っ た農産物の生産を奨励した。出来上がった農産物については積極的に市場流通できるように卸売会社や顧客に働きかけた。行政への働きかけの一つとして、消費 者団体と一緒に東京都に有機農産物の売り場を作ってもらう陳情をした。市場に入荷すれば、不特定多数のお客様に販売できるようになるからだ。
農水省は有機農産物の生産及び流通の円滑化並びにその表示の適正>化のための作業にかかり、ついに平成4年に「有機農産物等に係わる青果物等特別表示 ガイドライン」を策定した。その結果、全国のJA農協から有機農産物や減農薬農産物が栽培され、市場にも入荷するようになった。
このことで 適正に産地で表示された有機栽培の農産物が不特定多数の店で買うことが出来るようになり、有機農産物の一つの流れが出来た。市場外流通が 主体であった有機農産物などの流通を、市場流通に乗せた貢献が認められ、角市の鈴木社長は平成6年の園芸振興松島財団の振興奨励賞を受賞した。
現 在はJA農協を中心に、エコマークや安全に気を配った栽培方法に変わってきた。
一方、鈴木社長は食養学院で日本型食生活の研修を受け、日本綜合医学会食養指導士の資格を取得した結果、こうした青果物を社会に広めていきたいという。レス トラン、和食店等ではこれらの青果物に対する関心が高くなっている。JASマーク付きの有機栽培農産物が見られるようになってきたからだ。市場において有 機野菜の普及活動をした人物として、角市社長・鈴木忠典さんの右に出るものはない。
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