花きビジネスはどこへ行く
わが国で最大の花の取り扱いをする東京都中央卸売市場、大田市場・大田花きの磯村信夫社長は、自社のホームページに精力的にコラムを書かれている。
一部をご紹介すると「切花、鉢物とも生産減が明確化してきたなかで、中間流通でも損益分岐点を割り込む傾向は今後とも続く」ものと予測されている。
そうしたなかで「大変花もちが良い品種が国内でも開発され、それを親に民間でも育種がされつつあり、カーネーションがメインの品目になってきている。現在コロンビアに加え、中国のカーネーションもマーケットに出回っているが、もう一度日本のオリジナルとして1か月持つカーネーションを親に次々と新品種が出てきて欲しい。日本花き園芸発展のために、花もちを最も大切なポイントとしながらも、その親を海外に出さないルールが大切です」と語られ種の保存・管理を訴えられている。
花きの流通は青果物の発展経過を同じく辿っているようだ。花きは食品ではないが、農産物であるということで市場整備の対象となり、市場の整備統合が進展した。
しかし、青果物の市場規模に比較するとまだまだ小さい。家計消費で野菜の消費と比較しても十分の一にも満たない。しかも消費がたとえば母の日、クリスマスなどモノ日に特化している傾向がある。バブル経済絶頂のとき、しばしば友だちの誕生日にまで「ランの花」がギフトで贈られたものだ。花の消費は家庭でも定着するかに見えた。どこのスーパーでも花の販売に力を入れた。
しかし景気リセッションとともに俄かブームが吹き飛んでしまった。結婚式場、また都市部のオフィスでの需要などはバブル経済のまさに泡の部分だった。この泡の部分に依存した消費は本物の消費ではない。生活の一部に溶け込んで、それが定着しないと本物の消費にならない。
ところで花の消費量の最も多い県はどこだとお思いだろうか。それは東京でも京都でもない。鹿児島県なのである。つまり佛花の消費だ。鹿児島県は先祖を敬い、お墓の手入れを欠かさないという伝統がある。
こうして日本の花の消費は佛花と床の間の花として普及した。それだけ欧米と違って自然に恵まれたということか。
地方に行かずとも、都市部の郊外の戸建ての家には小さな花壇はある。いや都市部のマンションだってベランダでは、プランターで「趣味の園芸」を楽しんでいる人は多く、花の自家消費をしているのだ。
一方、ビジネスとしての花きはどうか。この「趣味の園芸」から抜け出ないとビジネスにならない。日本の花の消費はキク、バラ、カーネーションで7割を占めている。売れもしない品目をいっぱい取り揃えて、店に飾るから仕入れに時間がかかりロスが出る。現在のように花市場の競りは、出荷箱から一本一本取り出しお昼までかかって競りをしている。商品のロス以上に時間のロスが出るから売価が高くなる。売価が高くなるから売れない。これは見本競りができるほど信用がまだ確立されてないということだろう。
成り行き任せの競りを、いつまでもしていたら攻めの戦略など展開できない。「競りだから仕方がない」と価格形成にだれも責任をとらなくてもいいのだ。無責任流通のさいたるものになる。競りは旺盛な需要があり、供給不足時代にはうまくいく。しかし、供給過剰の時など成功しない。予約相対取引なども導入して、だれかが責任をとっていかないと攻めの戦略など展開できないのだ。店舗の販売ではもっとコンビニのように売れ筋商品に、ターゲットを絞り込んだらどうなのか。
花の小売価格を野菜並みの価格で流通させられたら、間違いなく流通革命が起こせるだろう。もっと花の消費を大衆化させる必要がある。小売価格が高いから売れない。果物の消費と同じで価値のないものを高く売ろうとするから売れないのだ。たとえば母の日にでも小学生の子どもが、お母さんのために自分のお小遣いでカーネーションが買えるくらいの値段設定だ。タバコ一箱、週刊誌一冊ぐらいの価格が値ごろ感だろう。
この価格で気のきいた八百屋の心意気で販売すればマイ・セルフ用としての花は売れる。景気低迷のなかでも家庭消費はあるのだ。墓地や生け花教室、フラワーデザイン教室などの特殊需要もあるが、こんな消費はたかが知れたものだ。何と言っても基本は家庭消費がどう拡大するかに、将来の花きビジネスはかかっている。花まで外国産に席巻されたら、もう日本には農業はなくなったということになろう。
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