東京市場は戦後の食料難が緩和されて、旺盛な需要で昭和40年代はまだ八百屋市場時代でした。
量販店時代が始まってはおりましたものの、市場に危機感はありませんでした。
こうしたなかで先見の明でいち早く開発部をつくり「量販店対策」を始めたのは東京青果だけでした。
しかし平成時代になると、バブル経済もはじけ東京の名門卸も次々と大手卸の軍門にくだり吸収されていきました。
いまでは各市場では独自の価格形成も出来ないで、東京青華の相場表が出てから値段が決まっていく状態。これではもう市場ではなく、デポ的機能しか残されておりません。
さて、いまのキーワードは「ソーシアルメディア対策」です。あなたの会社は大丈夫ですか?
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