2013年3月8日金曜日

流通の変化にどう対応するか




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笠原宏さんは平成23年、残念ながら病死されましたが貴重なご指摘を残されました。


東京青果時代から逸材の人物でした。

東京青果の常務から西武青果食品の社長に抜擢された江澤正平さんのお供を仕入本部長としてされました。


市場流通が巻き返しを図ってほしいという願いで再掲いたした次第です。 




 

 ~ 千代田青果貿易・笠原宏社長に聞く ~

 


 青果物の流通が様変わりするなかで、永年懇意にしていただいている千代田青果貿易㈱(東京都台東区台東1-10-3)の笠原宏社長に話を伺う機会ができた。笠原社長は東京青果のニンジン販売でその名を馳せ、その後、西武生鮮食品の青果仕入本部長を歴任。昭和56年同社を設立された。

東京青果時代は笠原と言えば、ニンジンと全国の有力市場ではその名が通った。さて青果物流通のなかで市場だけではなく、量販店の仕入部門も体験されたことで笠原社長は複眼思考ができる恵まれた立場にある。一方、産地も市場も海図なき航海のなかで難局に直面している。そこで同社を訪ね笠原社長に将来展望を伺った。




(右写真:在りし日の笠原宏社長)


―流通変化の大きな兆しは、どこら辺からお感じでしたか。

笠原:そうですね。二十年ほど前からでしょうか。顕著な変化は小売業が正月休みを返上して営業しだしたころでしょう。さらにコンビニの参入でそうした事態に拍車がかかり、消費者も食料品を買いだめする必要がなくなり、食糧備蓄という発想もなくなりました。市場は1月5日が仕事開始です。勿論、いまも昔も市場は休日対応をとっていますが・・・。

もう一つは、わが国の住宅事情の劣悪化も大きな問題としてありますね。核家族化が進み少子化が問題になりました。とても二世代、三世代が住める住宅ではありません。また漬物を置くところがありません。漬物は風通しがいいところでないといけません。こうして家庭料理の基本が伝達できなくなりました。「おふくろの味」という言葉が、すでに死語になりつつありますね。その分、デパートの地下の食料品売り場の惣菜はかなり充実してきました。核家族で4品1000円ほどなら、消費者も家事労働との関係で納得するのかも知れない。


―市場流通にも、そうした対応の変化が出てきたわけですね。

笠原:私は東京青果へ入社したのが、昭和42年。46,7年に前任者に引き続きニンジンを担当しましたが、当時は旺盛な需要がありましたからね。量販店の隆盛期で私は「せり取引」から「先取り」を先行させました。そうした意味で、せり取引主力の時代に先取りを定着させたと男として、いい意味でも悪い意味でも評価されるでしょう。


しかし、せり取引が、はたして適正価格を発見するのかどうか今でも疑問ですよ。買参人の前に大量の荷口を見せていて、どうして買い気分が起こりますか。焦って買う必要はないでしょう。せり場に少ない荷しか見せないところがポイントです。いまではもっと事態は進展して、大田市場でも小売商の仕入額は全入荷量の2割にも満たないのです。せり取引の形骸化には、いっそう拍車がかかりましたよ。


当時もシーズン通してみると先取りのほうが、せり取引よりも高値販売できたのです。銘柄品なら余計にそう言えるでしょう。産地が品質のいいものを作ると、売る側もその努力に応えないといけません。ことに東京青果の場合、全国の主力産地が販売に的を絞ってきます。首都圏の外郭の他市場とは販売状況がかなり違うのです。


―「先取り」に対して、産地側の販売情報はどう絡みますか。

笠原:関東の産地は商品と出荷情報が同時でした。しかし、遠隔産地の場合は先に売り込みをかけたいので、出荷情報先発型です。しかも品質を統一してきますし、この違いは大きくて販売においてはとても有利に展開できます。産地の体質にもよりますが、的確な出荷情報をいち早く入手できるということは、売込みがその分早くなるでしょう。お客さんはとうぜん喜んでくれます。


また産地の作付面積から推測していくと、今年はどれくらいの出荷量があるなと、おおよその検討がつきます。さらに出荷先はどこの市場だと分かると、その段階でこちらの販売戦略が組めますね。勿論、産地側で税務上の複雑な思惑問題もあります。そこで余りも産地側が虚偽情報提供となると、販売する側では要望に応えられなくなります。そこで他産地に重点が移ります。だから産地側と売る側の呼吸が合わないと成功しないのです。人間関係もそうしたものでしょう。


たとえば福島県のきゅうり産地の某農協が、東京青果に果物も含めて全量の販売を依頼したいという要望がありました。ところが東京青果ではその対応ができませんでした。こんな大きなチャンスをものにできませんでした。運を大きくつかめる人と、そうでない人の違いがここにあります。


私の場合、初荷のころの価格動向にはあまり興味がありませんでした。そうしたときに一喜一憂しません。それよりも、最盛期のいちばん量が多い時、いかに高く販売できるかを考えていました。シーズンのスタート時は、いくら高く販売しても量がありませんので、とても仕事になりません。仕事になるのは最盛期にどう販売するかです。ここで力量が問われるのです。



―お終いにこれからの産地、市場は、そうした変化にどう対応していけばいいのでしょうか。

笠原:どの業種も同じですが、産地もワン・ジェネレーション、つまり30年経つと世代交代です。40歳で産地を形成してきた世代も、30年経つと70歳代を迎えています。農協も制度導入で価格補償された品目ばかり栽培していたところに、新たにニンジンを作りなさいといっても、楽してきた生産者にはとても栽培できません。また農業生産法人は、このままではすべて崩壊するとみています。天候条件も絡みますが、周年栽培、供給体制が形成されないからです。


大きな捉え方をして、衝撃的に言いますと、もう生産者は出荷用の栽培を止めて自給用の栽培に専念する。消費者がそれでは困るというのなら、例えば生産者は1000万トンの野菜は作る。しかし消費者はキロ250円で責任をもって買う、というくらいの大きな合意をしなければいけないと思いますよ。だれが、どういうシステムで取り組むのかです。


そうした産地情勢を含めて、市場の若い人たちがこの業界でずっと仕事をするのなら、こうした問題を自分たちで考えていかねばなりませんね。ある意味ですべてご破算して考える必要があるのですから、楽しいのではありませんか。いま消費不振で大鑑巨砲型の流通が暗礁に乗り上げていますから、隙間を狙う仕事はいいでしょうね。まだ大きくなる可能性はあります。しかし、いまも昔も仕事の基本はちっとも変わっていません。



―いま産地も市場も狭い袋小路のなかでしか物事を考えていません。とくに若い世代は期待がされているなかで、たいへん貴重なご指摘をありがとうございました。

笠原宏さんは平成23年にご逝去されました。ご冥福をお祈りいたします。








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