2011年7月10日日曜日

「葉っぱビジネス」はこうして始まった!


日本農業再生






「葉っぱビジネス」はこうして始まった!







徳島県の山間部、勝浦郡上勝町に独創的なアイデアで「つまもの」の販売をする株式会社いろどりという第三セクターで運営されている会社がある。

同社は村の活性化をサポートしてじいちゃん、ばあちゃんたちが生き生きと希望に満ちて元気に働き、しかも若者のIターン、Jターンを実現させているから全国の自治体、企業に注目されている。 映画化が決定。すでに配役も決まり7月11日から撮影開始される。御法川監督で「そうだ!葉っぱを売ろう」(仮題)

さて上勝町も65歳以上の高齢者が人口2,000人の約半数を占める標準的農村地帯である。70歳、80歳のおばあちゃんたち190名ほどのビジネス・ パートナーを取りまとめるのが、株式会社いろどりの横石知二社長だ。横石社長はタダモノではない。慶応大学の金子勝教授の弁による、組織を活性化さ せるキーワードは「よそ者、バカ者、若者」だという言葉を思い起こした。

同社は料理に添える花や葉っぱなどの、いわゆる 「つまもの」事業を展開 して3億円ほどを稼ぎ出す。そのシステムを簡単に 紹介しておこう。全国の料亭や旅館にあらかじめどういった物が出荷できるかという産地情報としての彩 情報は10日おきに、月間商品情報は毎月、歳時情報は各歳時ごとに流す。

それを見たお店から市場を通じて発注書が上がってくる。受注した情報を「いろどりネットワーク」というシステムで生産者にパソコン、ファクシミリで流す。そして生産者は「つまもの」を集荷してきて、農協から市場に出荷するという受注生産システムである。

この受注生産システムというところがポイントで、しかも市場出荷というところに隠し味があるのだ。少なくとも商流においては市場を経由させて代金決 済のリスクヘッジをしているところが見事なのである。

ただ着眼点がいいだけではない。横石社長は市場流通を熟知している人なのである。出荷先の福岡大同青果の担当者の評価 は、すこぶる高く横石社長の人柄に魅了されているようだ。

販売額の5%を同社が手数料として受け取る。その他、農協の手数料、資材、運賃等を差し引いて80%が生産者の取り分になる。売上が年間1,000 万円以上になる生産者もいるそうだ。最初は裏山で葉っぱを集めていたが、今では生産性を上げるために栽培している人が大半である。生産者は栽培技術はかなり高いものを持っている。

 ところで横石社長は、昭和54年に農業者大学校をでると上勝農協の営農指導員になった。上勝町はもともと林業、ミカン農業、建設業しかない斜陽産業の町だ。そして昭和56年の大寒波でそれまで上勝町の主要産業で あったミカン農業が壊滅的ダメージを受けた。そこでミカンに代わる何か新しい産業を興さねばならないということで、さまざまな農作物とそれに関わる事業を 真剣に考えざるを得なかった。急斜面で農作業するために軽量のものでないといけない。「つまもの」事業もそうした中の一つである。

横石さんは、昭和61年たまたま大阪出張のときに料理屋に入った。隣の3人の女性客が「つまもの」のモミジの葉っぱをグラスに浮べたりして大喜びしていた。もって 帰りたいという人までいた。そのとき横石さん「これだ!」と閃いた。

当時、頭の中にあったものは「どうしたら女性や高齢者が働ける場が作れるか」ということだけであった。地域を活性化させるためには、何かひとつ儲かる産業を興して、それぞれに高齢者が働ける場所、主役となれる場所がなくてはならない と考えていた。

最初は苦労の連続だった。上勝町の人はほとんど協力してくれなかった。「よそ者が知ったかぶりをしやがって!帰れ!」と怒鳴られたそうだ。新しいこ とにチャレンジしていくと風当たりがきつかった。

38歳のときに横石さんは、もともと起業したいという気持ちが強かったので農協に辞表を提出した。ところがあるおばあちゃんが「横石がこの町からいなくなったら困る。横石がこの町には必要だ。辞めさせないで!」という嘆願書にたくさんの仲間の印鑑も押してもらって農協に提出した。これが横石さんが上勝町に留まることを決意したときだ。そして生産者4人が、若者の意見も聞かねばならないということで、何の葉っぱを集めた らいいのと協力してくれたのが歯車が動き出すきっかけとなった。このおばあちゃんは数年前に亡くなったそうだ。

最初は料理人のニーズが分からなかった。料理に応じて、食器に応じて必要となるものは違う。種類、色合い、形、大きさといろいろのポイントがあ る。そこは料理人のプロとしての領域だから簡単には教えて貰えない。

料亭に通いつめたがどうしても教えてもらえない。よし今度は客として行こうと。2万円の料理に3万5千円をポケットにしのばせた。一週間に2,3回行くこともあって最後には痛風と心筋梗塞になった。「つまもの」事業を何としても成功させたかったからだ。給料も全部使って、貯金も全部使って通った。そうしたことを2年間ぐらい続けると、ある料理 人が気に入ってくれて板場に入れて教えてくれるようになった。

そして「モミジの一枚葉」と注文がきたら「あ、突き出しのあれに使うんだな」と、どんな料理の、どんな器に添えようとしているのだなと、即座に頭に浮かぶようになった。

さて株式会社いろどりと生産者をつなぐのはファクシミリとパソコンのネットワークだ。朝、こちらから「モミジ100パック」と注文を出したらそれを生産 者が見て「じゃ、うちから10パック出します」と予約を入れて、モミジの葉を収穫に行く。昼にはパックしたものを農協へ出荷するという流れだ。

今では二次効果が生まれている。毎日、生産者は市場の生の情報に触れることと、あとは「誰がどれだけ出荷して、どれだけ売れた」というようになり、ただ受身で注文を待っているのではなく「自ら考える」という習慣が生まれたのだ。生産者同士で競争している。

近隣の市町村が人口流出で悩んでいるときに、上勝町がどうしてこうなったか。どうしたら、まず住んでいる人にとって魅力ある場所になるか。住んでい る人が面白くて仕方がないという状態にならなかったら他人は来てくれない。自分が自分でいられる場所だということだ。「つまもの」の生産者のおばあちゃん がもし都会にいたら自分が主役ではない。しかし上勝町なら自分が人生の主役になれる。自分の役割が描けると思ってもらえるということだ。

「つまもの」事業にはまだまだ未知の分野が残されている。需要はいくらでもある状態だ。しかし、他から葉っぱを買ってでも対応すればいいというものではない。それでは地域経済における役割が果たせない。短期的な儲けを追求したら無理が生ずる。地域の皆さんが喜んでくれる今のやり方は、最後の最後には すごい強さを発揮するはずだ。もし何かお願いすることになったら、絶対にみんな何をおいてもやってくれるという自信がある。今後も「自分が自分でいられる」ための役割づくりをしたい。そのための事業展開をめざしている。 

(写真はいろどり提供)





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