2011年1月10日月曜日

食べることの重要性を考える

韓国・ソウルの青果市場に寒さが厳しくなる秋冬期に行くと、ハクサイの山に圧倒される。かつて日本でも秋口になると、八百屋の店頭ではハクサイが縄で束ねられて販売されていた。各家庭で漬物を漬けていたからだ。ハクサイの大産地である茨城県の県西地区でも相場が当たると、まことしやかに「ハクサイ御殿」が建ったと言われたものだ。


しかし、韓国のハクサイの山はそんなものではない。トラックがハクサイを満載してやってきて、市場はハクサイで埋め尽くされるのだ。また市場の周辺では香辛料を販売する店舗がズラリ並ぶ。各家庭ではキムチが作られるのである。キムチ作りはこの時期の一大イベントで、会社ではキムチボーナスも支給されると聞いた。

世界の三大漬物はヨーロッパのピクルス、中国のザーサイ、韓国のキムチであると言われている。日本の漬物は「香の物」として珍重されるものの消費量においては世界に通用しない。そこでキムチを日本の漬物「香の物」という意識で捉えるとどうも違うのだ。ドイツやオーストリアなどのサワークラウトのように、あらゆる料理のベースに使用されている。ご飯のおかずとしてだけ利用されるのではない。いわば味噌・醤油のように調味料として考えていたほうがいいのかも知れない。世界に通用する代表的な発酵食品である。また韓国は野菜の消費量は世界一とも言われている。

一方、わが国の「野菜の消費拡大」では生食でというイメージが強い。マヨネーズの宣伝に踊らされてはいけない。生食での消費拡大はたかが知れている。やはり、煮たり、焼いたり、炒めたり料理の多様化のなかで使いたいものだ。くだものだってそうである。いつまでも「デザートでござ~い」と気取っていたら消費拡大など永久にできない。もっと前菜で使用することを考えないといけない。従って加工用りんごの品種を開発すべきである。甘さだけ追求されたりんごなどいらないのだ。価格を安くして野菜的用途で販売も考える必要がある。

いかに孤食化が進んだからといってハクサイの4分の1切り、みかんの小袋詰めなどしていたら量販店とは言えない。旬の時期には季節感を演出して束売り、箱売りを展開しなければいつ売れるのか。スーパー繁盛の秘訣は生鮮強化がポイントだ。加工食品では集客力の強化はとてもできない。スーパーの青果担当者はもっと発奮しなくてはならない。パックで転がしているだけでは売れるわけがない。消費者にドンドン試食をさせて、バイヤーは「やさいの歌」でも歌い対面販売の先頭に立たないといけない。どこの量販店も販売不振で売れないものだから、バイヤーの顔は疲労感だけが漂っている。青菜に塩では消費者はだれも寄り付かないだろう。担当者の顔に鮮度感の良さがでていないのだ。

本来、食文化は食べ物だけで成り立つのではなくて、いろいろなものが食にも影響している。韓国で野菜を食べているのは、健康志向というだけではなくて、仏教思想から肉食を抑えるようにということから野菜の消費量が増えた時代もあった。そうしたいろいろな要素が重なり合っていると言われる。

日本では食の欧米化で米を中心とする主食、副食という概念が崩壊してきたようだ。と同時に精神的風土まで瓦解してきたのではないか。ワールドカップでプロのサッカー選手のなかで日本の選手は、ここいちばんの時に技術・体力・心肺能力において韓国選手に及ばなかった。それを映像がはっきりと見せ付けてくれた。

韓国では肉を食べるときにも必ず野菜と一緒に食べる。焼肉をサンチェで巻いてその上にエゴマの葉を乗せその上に刻んだ野菜を乗せて味噌をつけて食べる。煮魚をつくるときにもキャベツや白菜の一番外側の葉など捨てそうなところをきれいに洗ってから下に敷いて煮て、すべて食べる。

日本でも人気がある韓国料理にビビンバがあるが、あれは本来は料理ではなくて、豆もやし、ほうれん草、ゼンマイ、大根など種類の野菜でナムル(和え物)を作る。その残りものを処分するために、次の日のお昼とかにご飯にその残ったナムルを乗せてかき混ぜて食べるのである。つまり、残った野菜を全部食べることからビビンバは生まれたのだ。そうして野菜を残らずすべて食べている。

さて、日本人は食べることの重要性について認識が足りなくなってきたのではないのか。テレビは料理番組が多くなったが、食に対する貪欲さを欠いてきたとなると皮肉なことである。思考力を失った若者には、ジャンクフードをただ食べていれば生きられるという安易さがあるようだ。化学肥料、農薬、食品添加物の使用で人間にはすでに毒矢が居込まれているのである。その毒矢を自分の力で早急に抜かねばならないのだ。

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