「神田市場」備忘録
映画「東京五輪音頭」
東京オリンピックを目前に控えた1964年9月9日、映画「東京五輪音頭」(日活制作)が公開された。
時代は高度経済成長の真っ盛り。
農業基本法が施行されて3年後である。
このなかで、当時の神田市場のセリ風景が出てきた。
なにせ神田市場は江戸の三大御用市場(千住、駒込、神田)の一つで、唯一、山の手線の内側にある市場であった。
現在の東一・東京青果が合併する3年前である。卸売会社はまだ東印・東京青果であった。
きっと小杉勇監督は高揚してきた時代の象徴として、神田市場のセリ風景を撮られたのだと勝手に推測する。
やがて昭和42年、日本一大きな東印東京青果は二番手に大きい東京丸一青果と合併。
こうして東一・東京青果が誕生した。
他社がリスクの大きい量販店対応を取らなかったに対して、東京青果はいち早く開発部をつくり量販店対応を積極的に展開した。
この合併は流通大型化に対応していくための「攻めの合併」であったのに対して、平成の合併は流通が縮小していくための戦略なき「守りの合併」である。
ここが決定的に違うのだ。
これが大田市場移転後も大きなエネルギーとなり、他社の追随を許さずどんどんその差を拡大しているわけだ。
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