2013年12月8日日曜日

大阪・万果の「先見の明」とはなにか?



 



スーパー業界の覇者であったダイエーの発展史をみていると、いまさらながら市場の発展経過がとてもよく理解できる。


                ■写真:中川恵次 万果グループ代表


さてダイエーの前身であった「大栄薬品工業株式会社」が設立されたのが昭和32年(1957年)。


株式会社主婦の店(店名は主婦の店ダイエー)に変更されたのが昭和34年(1959年)。そして昭和39年(1964年)に「株式会社一徳」を買収して首都圏進出を果たした。

このように昭和30年代の初期に流通業界には大きな変化の波がやってきていた。

ところで大阪仲卸である万果の歴史は、川勝文次さんが個人商店として営業されていたものを、昭和39年12月に株式会社万果として創業されたのがスタートで果実専門の仲卸。私も川勝さんに数回お会いしたことがあります。

ではどこが万果はすごいのか?

それは「パパママストア」から「大型量販店時代」到来で、場外に物流センターが必用だと予見したところにある。


バナ ナの自由化に対応して昭和40年、場外の摂津市に3人の協同で三協が設立され、これが発展して新三協食品流通センターとなった。

いまでは大型量販店が呉越同舟して、フルラインサプライヤーとしての万果グループで仕入れを行っている。

これは全農が大阪生鮮食品集配センターをつくる前のことでいかにも万果が大型流通時代到来を予見する見事な対応でした。

こうして大型量販店時代の到来であったものの、まだ八百屋勢力も強く神田市場や築地市場でも市場外に流通センター構想のできる仲卸はどこにもなかったのです。

しかし、昭和42年7月、卸業界トップの扱いをする東印東京青果(株)と2番手の東京丸一青果(株)が合併して巨大な卸売会社が誕生した。当時としては大英断でした。

平成の卸の合併とはまったく意味が違うのだ。「守りの合併」ではなく明らかに「攻めの合併」だった。

いま市場業界を見ていただきたい。

販売力のないところは容赦なくバタバタと倒産の波に呑み込まれています。 

このように昭和30年代の初期に流通業界には、大きな変化の波がやってきていたのです。

いま磐石な体制のところは当時からそうした対応に備えたところです。

ネット時代も同様ですからしっかりと対応したいものです。







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