2013年7月8日月曜日

広がるセリ取引形骸化の波紋





 



神田市場が大田に移転して30年経つので、旧神田市場時代を知っている人も少なくなった。

東京の市場、とくに神田市場は昭和40年代に本格的量販店対応するには狭かったということもあり、先取り取引が活発であった。

何しろ一日に荷物置き場は商品が3回転もするほどあった。

こうした事情を他市場からは、セリ取引ではないために公正な価格形成ではないと批判されたものだ。

産地側も実情を理解できない人たちが同様な考え方あったようだ。



しかし神田市場は集散市場でもあったので東北・北海道送り、量販店対応と地方では有り得ない対応をしていた。

時間前販売がすべて良くないということで、条例どおりに禁止されたら大量の荷物を目の前にして相場維持さえ困難だったろう。

条例違反ではあるものの先取りをして予め商品を動かしていたから競り値も維持できたのである。それだけ売り込む先を持っていたわけである。

ところで大阪の消息筋によると、いまや大阪・本場でもセリをしなくて卸は仲卸に商品を振り分けているそうだ。これをみたご本人は「もう本場も終わりました!」と嘆いていた。大阪市場も時代の流れには勝てないのか?







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