ダイエーが株式会社一徳を買収して首都圏進出したのが昭和39年1月。
これは小売業にとって大きな変化の幕開けの年であった。
それまでスーパーはスーッと出てきてパーッと消えると揶揄されていた。
神田市場でも八百屋勢力がまだまだ強かったものの本格的なスーパー時代の到来を予感させた。
そこで青果卸で日本最大の扱い高をする東印東京青果と2位の東京丸一青果が昭和42年に合併して東京青果が設立された。
そして東京青果ではスーパー時代に対応するべく開発部をつくり攻めの経営に着手した。
また昭和46年4月、卸売市場法が施行された。
新しい取引の目玉は量販店に対応すべくせり取引一辺倒から「予約相対取引」が導入されたことだ。
さらに昭和47年3月、産地側は全購連と全販連が合併し全農が誕生した。
こうして零細多数の八百屋流通から大型量販店の成長に牽引されて流通は様変わりしていった。
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